賢者の言葉を紹介します。
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賢者の言葉を紹介します。

2021年05月11日(火)11:53 AM

 

今日よく病気に対する心構えとして、闘病という言葉を使うが、吾々から見れば之程間違った言葉はない。

全く病気の根本原因を知らない為とは言いながら、吾々から言えば愛病と言いたいくらいである。

つまり病は愛すべきもの、有難いもの、感謝すべきものと思うのが本当であるからである。

ところが医学に於ては、一度病気に罹るや悪い意味に考え、恰度 悪魔が体内に入り込んだかのように心配する。

よく病魔という言葉を使うが、その意味であろうし、又闘病という文字も、敵が体内に侵入したので、味方の肉体と、大いに闘うと言う意味でもあろうから、実におかしな話である。

ところが吾々の方では、人体には始終毒素が溜り易く、それがある程度を越えると、活動に支障を及ぼすから、その毒素を排除すべく自然作用が起こり、働くのに差し支えのない程度に清めてくれる。

それで健康体になるのであるが、その毒素排除には幾分の苦痛が伴うので、その苦痛を称して病気と言ったのだから、病気程結構なものはないわけで、全く神様が人間の健康を保持せんが為、お造りになった事がよく分るのである。

何よりも病気の際、痰や洩が出たり、寝汗をかいたり、下痢、嘔吐、痛み、痒みなどの症状に見ても、汚いものがいろいろな形になって出る事が分るのである。だからその場合苦痛を有難いと思って、少し我慢さえすれば、割合楽に相済み、後は体内が綺麗に掃除されるから、健康は益々良くなるのである。

以上の如く、人間にとって之程結構なものはないとしたら、病気になったら喜んで大いに祝うべしだ。だから吾々は感冒でも、結核でも、伝染病でも結構、大いにお出でくださいと歓迎する位だ。

ところが世間一般を見てみるとどうであろう。風邪をひかないようにと言って、年が年中ビクビクもので、結核は怖い、伝染病に罹ったら大変だ、外出から帰ったら必ず含陳しろ、手を洗えなどと面倒臭いことを言ったり、マスクをかけさしたり、実にうるさい話である。

 政府は政府で毎年何百億の無駄な金を使って大騒ぎをしたり、お医者はお医者で、年中七難しい顔をし、顕微鏡と首っぴきであったりしている有様は、吾々から見れば可哀想どころか馬鹿馬鹿しくてお話にならないのである。このようなわけで、吾々と世間との違いさはスッポンとお月様どころではない。何て言っていいか、言葉は見つからない位である。

(←ここまで昭和28年に発表されたある賢者の談話より)

すべて神から与えられた世界に生きているなら、無駄なものいらぬものなど一切ないはずです。全ての存在に肯定的な理解を示せるなら病気の受け止め方はこの様になるはずで、それが法則となります。この談話より70年たった今、世の中は相変わらず賢者に言わせればバカバカしい世相の中、みんな右往左往させられているのだと想いませんか。



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