考え方を変えるという事
病気であることを恐れるのが普通の人間ならば病気であることを忘れる人は大したものである、というのも、俺自身が障害を持つ身になって何か一つ軽いものを麻痺側で持つことになっても非常に大きなことに感じるのである、こんなことは健常な人間なら考えもしないだろう、健常であるという事は病気であるという意識が働いていない、、、、これが大切なのではないかと思うのです、自分は元気だと思い込む、これは自分はもうだいぶ歳だからあれができないこれができないという事と同じで元気な人は総じて自分の歳の事など気にしていない人が多いのだ、自分の年齢の事をまず考えるなら自分はまだ十代だと思っている人は元気だ、丁度俺の父がそういう人で自分は健康で若いのだと中年ごろからずっと言っていたので未だに耳は良く聞こえるし頭もあまりピンボケしていないように見えるのだ、俺も父を見習って自分が病気持ちだという事を忘れてみるのも良いのではないかと思うのです。人間の苦しみというのは心が感じているもので心が作り出しているものだと言えると思う、ならば心を変えるための努力を俺はするべきではないかと思うのです、これは古人が言っているように考え方を変えるという事になるのだと思う、こんな俺でも歩けてるじゃないか、世の中にはベッドから起きる事さえあきらめざるを得ない人も多くおられるのだそういうことを考えれば俺は病気だと言えるのか、いや、むしろ元気そのものではないか、俺は一体何を思っているのだ自分は障害があるからあれができない、これができないばかりを考えてすっかりと心が病んでしまっているじゃないか、俺は障害があるけれど、自分の行きたいところに自分で行ける治療家としての仕事もしているこういう自分を誇らしく思っても良いじゃないか、少しうぬぼれるくらいの自分になってみようぜ。