20年ぶりの友人と再会する。
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20年ぶりの友人と再会する。

2021年05月11日(火)12:24 PM
20年ぶりの友人と再会する。
20年前、電機メーカーの工場内にある大きなプロジェクトのチーム内で現場のまとめ役だった私は、仕事仕事、仕事人間だった。
10代の頃から目指していた音楽家への道をあきらめた私は、せめて今与えられている仕事では誰にも負けたくない気持ちになった。
誰よりも懸命に仕事に打ち込んだ。そしてリーダーとして認められた。
朝に出社すると進捗状況を確認しては成果を上げていない人たちに対してかなり厳しい態度をとる冷たい人間だった。
人の気持ちがわからない。察することが出来ない。でも人の評価は気になると言った矛盾を抱えていることさえ無自覚だった。
言い訳をする人が許せなかった、一人の怠慢が全体にどれだけ影響を与えるか、お金に換算したら何億の損失につながるのか、そんな事を頭で計算しながら毎日過ごしていた。
私を嫌って仕事を辞めていく人も何人かいたが上司は私の耳にそういう話が入らないようにしてくれていた。
現場のみんなは私のことに不満を持っていたが、私は言いたいことがあるなら仕事で私を超えてみろと、そういった頑なな態度であり続けていた。
人前では笑えない、、、、なんだか触れると切れてしまうようなキンキンにはられた弦のようだった。
そんなある日、カイロプラクティックと出会ってしまった。
この道を選びたい、学びたい、ちょうど高1の夏にギターと出会った時のような、もうそのことから目を離せなくなる感覚が起こった。
『どうしよう、どうしよう』  めちゃくちゃ悩みました。
学生の頃からの先輩に相談しました。『そら~お前、絶対やめとけ。お前何歳やねん。夢見る歳とちゃうで、きちんと現実見ろや。』こう言われると逆に火がついてしまい『じゃかましい見とけよ、やったら~』ってなってしまいました。
何かを得たいんだったら、その分失っても良いと覚悟できるか?ずっと自問自答した結果、今、自分が持っているすべてを失ってもカイロプラクティックを自分のものにしたい、後悔しないと決心しました。
その時の気持ちは確かに成就して、たくさんの事柄を失います。経済的なゆとり、仕事を通じての友人関係、家族からの信頼、社会的な立場。
職場の上司に辞めたい旨を伝えると、絶対に現場のメンバーに辞めたいことは言わないことを条件に毎日話し合いが持たれた。
『今のプロジェクトが終わったら良いポストを約束するで』『海外赴任チームに推薦するで』『せめてあと一年は頑張ってくれや』いい条件を次々と出してくれましたが気持ちは変わりませんでした。
辞表を受け入れてもらえるまで一ヶ月かかりました。そして上司は最後に先輩と同じことを言いました。『お前は絶対に後悔する』
辞表を受けていただいた日に現場に出るとメンバーが全員揃っていました。みんな目が怒っています。
『個人的理由で退職することにしました。みなさんにはご迷惑をおかけします。本当に申し訳ありません』そういった時に誰かが僕の胸ぐらを掴んできた。
『お前何勝手な事言うんじゃ。俺はなぁ、お前のことを目標に仕事がんばってきたんや。お前にバカにされたくないから頑張ってきたのに、勝手すぎるやろ』
そう言われて『すみません・・・』しか言えませんでした。
なんでか俺という人間は一生懸命になればなるほど人を傷つけてしまう。目の前で僕の胸ぐらを掴むHさん、やめろやめろと引き離すメンバーたち。
あれだけ頑張ってきた職場の最後の日はこんな感じで、朝礼の後すぐに荷物をまとめて退社するように指示が出て終わりました。
誰からも新たな人生の門出を祝ってもらえず、全ては身から出たサビなんですが、なんとも寂しくわびしいカイロプラクティックへの第一歩でした。
カイロプラクティックを学びはじめて最初の3年間は一日15時間は勉強に明け暮れました。一日24時間カイロプラクティックだけを考え続けました。
世間では911テロで騒然となっている時もテレビも一切見ない生活でしたから、だいぶ経ってからそういう事があったと知りました。
収入はほぼ0です。貯金を切り崩しながら学費を支払い、セミナーに参加し、食費を切り詰めながら本代に当てていました。
当時両親が倉庫代わりに借りていた部屋がありましたので、そこで寝起きしました。風呂も無いですから台所の流しで身体を拭き洗髪していました。冬はめちゃめちゃ寒かったですね。
こう書くと苦労したんだねって思われるかもですが、やりたくてやってるから本人は至って楽しんでいます。
失ったものはたくさんありましたが得たものはより多くありました。
笑顔になれました。お客様からいただく『ありがとう』という言葉ほどよく効く薬はありません。少しずつ人間になれた気がします。
自分の人生を歩んでいる自信が持てました。
理解してくれる仲間が出来ました。応援してくれる人が増えました。
人が感じられるようになりました。
20年たった今、当時とは別人に生まれ変わったような気になっていました。
そしてつい先日、夜に知らない番号から携帯に電話がありました。
誰だろう?と思いつつ電話に出ると『もしもし鈴木さん?お久しぶりですHです』。。。そうなんです。僕の胸ぐらをつかんだHさんが電話の相手だったんです。
彼が言うのは彼の奥さんが坐骨神経痛で長いこと苦しんでいる、色々と評判の先生のところへ行っては見たが芳しくない。そんな時に昔カイロプラクティックを勉強すると言って退職した同僚がいたことを思い出して、たまたま電話番号を消さずに置いてあったからダメ元で電話したと言うわけです。
そして今日Hさんが奥さんを伴って僕の店に来ました。久しぶりのHさんは面影もそのままで『久しぶりだね』と挨拶を交わした後、奥さんの治療をしている間、待合で待ってもらいました。
治療が終わって奥さんの神経痛が消えたことを確認できたので、あらためてHさんのところに行って『本当によく来てくれた、ありがとう』と話しました。
そして20年前に言えてなかった、みんなに嫌な思いをさせていたことを改めてお詫びしたいと話すと彼は大きく首を振って
『この店にきて改めて鈴木さんらしいなって思ったよ。前の職場でもそうだったけれど、確かに仕事に対してあなたは厳しかった。でもそれは仕事を極めようとするあなたの姿勢だとみんな理解していたよ。今の仕事に対しても極めつくそうとするあなたらしさを感じたよ。鈴木さんよく頑張ったよ。』
目の前のHさんの顔がぼやけてしまいました。涙が止まらなかったんです。『ありがとう、ありがとう、、、』20年前からの棘が一つ抜けた気がしました。
20年前、職場から背中を丸めてトボトボと帰る自分に『もっと自信を持て!お前の選択は間違っていないんだ。辛いから良いんだ。悲しいから良いんだ。全部お前の砥石なんだ。』と言ってあげたくなりました。


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