繰り返すのが人生ならば。
ギタリストで食っていけるようになりたいと本気で思っていた、20歳の頃だった、周囲の友人はもっと堅実に生きていて俺は強烈なコンプレックスを感じていた、ある友人は可愛い彼女とのデートに夢中だった、俺はそれどころではなくて、俺の事を好きになってくれる人なんて現れるわけがないと自己嫌悪に陥ることが多かった、当然のように車もなくて、カッコいい車に乗って遊びに行くやつが眩しく見えたものだ、、自分がそういう生き方を選んだという自覚があまりなくてなんだか悲しいなあといつも周囲との格差を感じて落ち込むことが多い厄介な奴だった、欲しい欲しいと言っても自分で手に入れるように努力すればよかった、何の計画性もないに等しかった、まず、自分はギターで一人前になりたいのなら、それが目的なのであってギターは手段なのだ手段に飲み込まれて手段が目的になるという大失敗をやらかしたのだ、俺には、そんな風に話を聞いてくれる相手がいなかった、、、俺と話が合う人間は、どこか人間として未熟で甘えている人が多かった、それは同類が集うという法則通りになっているので今さら恨み言を言っても変わらない事だ今の俺が当時の俺に会えたら言ってやりたいことがある、そういう事に気づくのが俺のテーマだった、そのために病気になって、プログラムを発動させたんだ、まず俺は自分の夢があった、そこで必要なことは俺の描いている夢をかなえている人間に合う事だ、そういう人に出会ってどうしたら夢を実現できるのか見る事だったそのために東京に行くなら行けばいいのだ自分が飛び込めば何とかなるような気持ち一つで飛び込むしかない、背水の陣でやってみれば良いのだ、そこでも俺は勇気が出なかったなにか保険となるものが欲しかった、体一つで何とかなるさで飛び込むことができなかったことが、俺の心の残る事だった、どう考えてもその生き方のほうがかっこいいじゃないかと思うんですよね、今芸人がテレビでも引っ張りだこだ、、、何故なら彼らは飛び込んだから、人気が出るのだ、みんな飛び込めない人ばかりだから皆憧れを持つのだ、飛び込む人に対して自分ができなかったことに対する何かを感じ取っているのだこんな俺でも早朝の仕事と両立で出張専門でカイロプラクティックをしていた、そういう無茶をする人間というのは相手にはわかるもので、みんな自分ができないと思っている何かをやっている人間の事を賛辞する習性があるのだだから俺は半身まひというハンディがあっても施術を行う事が俺にはプラスに働くのはほとんどの人にとって身体の不自由な人間ができるわけがないと思っているから、、、だと思う。