天才と呼ばれた人を振り返って思う事。
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天才と呼ばれた人を振り返って思う事。

2024年07月21日(日)11:04 AM

全てはこの宇宙の法則に沿って起こっていることだから、ことさら反発することではないのです、全てを無邪気に楽しめばいいのです、人との出会に喜び相手の喜びを素直に喜べばいいのかなあと思うんです。別に無理くり思うんじゃなくて自然に自分の中に生まれる喜びを喜べば良いんじゃないかと思います無理をしない、無理をすると逆らう事になると思う、自然に心に浮かぶことをただぼんやりと眺めている感じなんです面白いなあと思う事だけにフォーカスした人生って幸せだと思うんですよねただ自分に無理をさせないというかまるで子供のように自由に心のままに自分のすべきことだけを楽しんですれば良いのだと思う人生は楽しむためにあるという言葉は非常に含蓄のある言葉ではないかと思うのです決して楽をして自分の責任から逃れることが楽しむことにはならないのです、自分の果たす役割をきちんと果たしてそのうえで自分が無心になって夢中になってやることがあれば、その時点で楽しんでいることになります、やっすい時給のアルバイトで時間をきにしながら過ごす時間はなんとも面白くなくて生きている意味が感じられなくなりますが夢中になって何かを追いかけている時に心の底から時間のたつのも忘れている時間を過ごしてアッという間に一日が経ってしまうこういう時間を日々過ごすのが最高の生き方だと俺は思うんです人に人体の不思議な法則について説明する時、俺は心の底から楽しいと思っている、いつも何事にも気を置いて行っていくようにしようと思うのです、適当になおざりにしない同じ歩くのでもぼんやりと歩かない一つ一つの所作を究めるように心がけるつまりはその積み重ねが俺の人生となるのだろうすべての事に面白味を発見できる人は人生の達人となるでしょう振り返れば自分が目指した人間になっていたというのが理想なら俺の人生はまさに理想的な人生だと言えるでしょう思い返せば俺はギターに夢中になって、カイロに出会って施術に夢中になってそれから漢方に夢中になって今に至る積み重ねた結果多分誰にも真似のできないオリジナルの施術家となることができたのだ、そこに価値を見出す人が俺から学びたいと言ってくれている、本当にありがたい、俺は今後も夢中になりながら走り続けることができるのではないかと思うのである、仕事に夢中になれる人は幸せである昔落語家で桂枝雀という天才と称された人がいた、あの人は本当に落語を楽しんでいたと思うそういう積み重ねが芸を磨くのだろう施術家という生き方も一種の芸人のようなもので芸を磨くことが楽しく成れば本物だと思うのです。。。改めて枝雀さんを思うと本物の芸人とは彼の事を言うのだろうと思うのです、最後には首を吊って自殺してしまったけれど行きついたところにはどんな光景が広がっていたんだろうか、、、同じことは手塚治虫さんにも言えるしエジソンにも言える、いずれもこの世界の進化向上のためとかいうお題目など関係なくて自分が楽しいのかそうでないかが大きなカギだと思う。。。



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