悟るとはどういう事だろう・・・勝手な解釈
瞑想をするとインスピレーションが降りやすくなるのは昔から言われていることですが、、昔から道を求めている人は、多くが瞑想する習慣を持ったりしています悟りを開いたとされる人の多くは長い時間を瞑想に当てるような修行をされています釈迦もピッパラの木の下で悟りを得るまで瞑想の次の段階である三昧の日々だったと記録が残っていますこの、瞑想をやってきて何が彼らに起こったのか、これは彼らと同じ体験をしないと理解することは難しいでしょう、言葉にして彼らの多くは自分の体験を残そうとしましたが上手くいきません、もしも悟りと言うものが言葉だけで伝わるものならばそれこそ世の中は仏陀だらけになってしまうでしょう、実際にそうはならない事実を見てみると簡単に伝えられる種類の物ではないという事が分かってきますこれは同じ体験をすることで彼らが言いたかったことを理解する以外にないだろうと思います、そんなこと言うならお前は悟ったのかと聞かれそうですが、はっきり言って悟っていませんまだまだ人生の苦しみにもがいている毎日です、多くの人は人生を苦しむだけで終わらせています、、、私は少しでも悟りを得たいのです、だから求道しているのです、その結果に自分の気づいたことを少しでも同志に伝えようとブログを書いているのです。さてこの文章にたどり着いた人は幸せですあなたがこれから味わう無駄な努力を先に回避できるようにこの文を書いているのですから、まずは瞑想をしようとして何時間も座り続けることは全く、無意味です、止めましょう!瞑想と言うのはしーーんとした心の状態を表わす言葉でそれ以上でも以下でもないのです、ふと気づけば何にも考えていない全くの無の状態と言うのを私たちは日常の中で感じることがあります例えばスカイダイビングをされる人が飛び降りた時などは全くの無音状態になると思いますこれが瞑想です良く経典でも書かれている空とはこの状態になるのです、人間は死ぬと五感でとらえている情報が全く遮断されるからこの瞑想状態になるんだろうと思います全くの空の世界です宇宙の広さ、静けさ、深さを味わうことだと思っています。これが所謂、煩悩から離れた状態になるのかなと私は勝手に感じているのです。。。。