カイロプラクティックの事、私がようやく至った場所の話
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カイロプラクティックの事、私がようやく至った場所の話

2023年11月25日(土)8:52 AM

カイロとはギリシャ語で手という意味でプラクティックは技術という意味を成すことから手技による治療術と解釈することができる、、、では一体何を目的とした治療術であるかと言えばこれは病人を治癒に導くことが目的であって、人はなぜ病気になるのかという原因が明らかになればこのための手段としてのカイロプラクティックの存在意義がすっきりと分かりやすくなるのである、それでは病気の原因から定義すれば、、、人間というものは自然の存在であるから自然のルールに従って生きているのですこのルールから逸脱すれば人間は病気になるのである、、、例えばいくら楽だからと言って日永一日中ゴロゴロと身体を寝かしていればこれは体は不調を起こす、、、結果として病気になるのは誰の目にも明白な話でいつも暗いことを考えて居続けるとだんだんと身体はおかしくなる、これまた明白なことだと言えると思うこれらの理由から病気になった場合どうすれば治るのかというとまず上にあげた二例は体に活力がなくなってしまった状態である、例えるなら植木にいくら水を与えても日光に当てなければ生命力を失って枯れてしまうことに似ていると思う、、この生命力の流れを確保して活力を身体に与えることがカイロプラクティックの目的であるのですいつしか手技を使っての矯正術になり下がった現代のカイロは本当に本来の魅力を失ってしまった、、と感じるのは真のカイロプラクターならみな同じであると思うのです、私はこの混迷を脱する方法としての導きを東洋医学に求めた結果、カイロプラクティック本来が目指したその哲学の根幹をようやく理解することができたと思っている、私はそこに至るために半身まひという後遺症を持つ病に罹るように私の運命を司る神の、愛ある鉄拳制裁を受けたのだと思うに至ったのです、私はやっとここまで来たのだ、つらく悲しいことは山ほどあったけれど全部、自分を導くための鞭だったのだとようやく思えるのです



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